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研究者情報:研究・産学連携

ユニーク&エキサイティング研究探訪
No.13 燃料電池イノベーション研究センター長・岩澤康裕特任教授の次世代燃料電池触媒の研究

放射光XAFS計測を駆使し、次世代燃料電池触媒の設計指針開発を目指す

燃料電池イノベーション研究センター センター長
情報理工学研究科 先進理工学専攻
岩澤 康裕 特任教授

電通大に「燃料電池イノベーション研究センター(センター長・岩澤康裕特任教授)」が設立(注1)されてから1年半経つ。同センターは、学内に燃料電池の研究教育施設を持つだけでなく、兵庫県にある大型放射光施設SPring-8に電通大専用の「先端触媒構造反応リアルタイム計測ビームライン」を新設、次世代燃料電池用触媒の具体的な設計指針の開発を目指している。SPring-8に建設中の新ビームラインは、設計・発注・製作が進み、すでに一部装置は完成、24年度後半から本格運用が始まる予定だ。計画の全体像は発表資料(注2)に掲載されているが、この欄では改めてこのプロジェクトの概要を紹介してみたい。

次世代燃料電池開発は壁に突き当たっている

岩澤特任教授らのプロジェクトの目標は「燃料電池用の高活性・高耐久性触媒の設計指針」を、最終年度である平成26年度に提示することである。

燃料電池(注3)は、最近になって家庭用の発電装置が「エネファーム」の名称で発売され、燃料電池で動く実用車も2015年に国内市販される予定であるなど、すでに実用化段階にある技術のように思われる。しかし、実は基本的なことがほとんど分かっておらず、とくに次世代燃料電池自動車の本格的な普及を目指す開発という観点では、壁に突き当たっているのだという。

図1.燃料電池の仕組み概念図

燃料電池の動作原理(図1参照)は、水の電気分解の逆、つまり、水素と酸素が反応して水が出来る時の大きな反応熱を利用して電気を作る。CO2のような地球環境に悪影響のある排ガスも出さないため、近未来の自動車や家庭用電源として最有望視されている。この燃料電池、とくに自動車用などに使われる固体高分子形燃料電池の構成要素の中で、最も重要なのは「触媒」である。燃料極側で水素を解離させ水素イオンと電子に分離するのも触媒、空気極で酸素と水素イオンを反応させ水を作るのも触媒の働きだ。ところがこれまで、その触媒の働くメカニズムがほとんど分かっていなかった。

触媒は、一般的には化学反応を助けて自分自身は反応の前後で変化しないものと定義されている。ところが、燃料電池の白金(Pt)触媒は、電池のオン、オフを繰り返すと劣化して失活してしまう。触媒である小さな白金ナノ粒子が大きな粒子になって活性が減少してしまったり、白金が電解質の中に溶け出すためだ。このことは、交差点などで停止・発進する都度、オン・オフをせざるを得ない自動車用燃料電池にとっては、致命的な問題になる。

XAFS(X線吸収微細構造)計測法で、触媒の働きをリアルタイム観測する

では、なぜ触媒が失活するのか。その前に、動作時に触媒はどんな働きをしているのか。この基本問題がブラックボックスのまま放置されていて、岩澤特任教授らが数年前に燃料電池触媒の研究に着手する以前には、ほとんど解明されていなかったという。

その理由は、燃料電池の動作環境が複雑過ぎて(水素ガスや空気、水、電解質、電極材料、触媒微粒子を担持しているカーボン粒子などが混在していて)従来のいろいろな分析技術が有効に使えないためだ。

岩澤特任教授によれば、X線吸収微細構造(XAFS=ザフス)計測法が、唯一、燃料電池触媒をリアルタイムで、動作状態で計測・観測できる手法だという。

XAFS計測技術は、物質透過力の強いX線を使う。このため、測定対象の形状や種類、測定の雰囲気に関係なく、また複数の元素が混じるような環境でも、ターゲット元素や物質だけに焦点を当てて計測できる。岩澤特任教授らは1980年代初頭からこのXAFS計測法を使い、触媒の分子レベル構造を初めて報告するなど、いろいろな触媒の研究開発をしてきた。

XAFS計測で使うX線は、専用の加速器で発生させるビーム状の放射光(注4)である。放射光は加速器で電子を光速近くまで加速して、磁場をかけて曲げるとき飛び出すビーム状の光(X線)。レントゲン写真で使うX線のように拡散しないので、桁違いに明るい(浸透力が強い)のが特色だ。

放射光を使う

図2.XAFS計測のイメージ
図3.X線吸収微細構造の説明図

この放射光を使うことで、燃料電池触媒のように複雑な環境下にある微細な物質の挙動を克明に観察できる。図2はXAFS計測のイメージ図である。狙う触媒微粒子は同図に表示のようにサイズがわずか2~5nmしかない。その触媒微粒子にX線(放射光)を当て、透過した光、或いは微粒子から放出されたX線(蛍光)をX線検出器で計測、コンピュータ解析することで、専門家は驚くほど豊富で緻密な情報を読み取る。

直接得られる情報は、図3のようなX線吸収スペクトルである。入射するX線のエネルギーの関数として応答(物質による吸収)を表したものだ。測定対象原子にX線が当たると、X線が吸収され、光電子が放出される。ある特定の原子は特定のエネルギー(波長)のX線を吸収する(これを吸収端という)ため、吸収端を見れば、どの原子が反応しているかがわかる。同時に、X線によって叩き出された光電子が隣接原子で反射して、図3右のように光の干渉が起こる。つまり波の山と谷が重なると打ち消しあい、山と山が重なると強め合う。これは、同図左の吸収率スペクトルでは、吸収端右側から続く微細な波打ちとして現れる。

専門家はこのグラフを分析して、測定対象原子の電子配置や隣接原子との距離、配位数(結晶中で1個の原子あるいは分子が隣り合う原子あるいは分子と接する数。たとえば鉄などの金属結晶の体心立方格子では配位数8など)などを正確に突き止める。

燃料電池用Pt触媒の挙動を世界で初めて捕える

図4.燃料電池オン・オフ時の白金触媒微粒子表面の帯・放電、白金-酸素の結合・切断の様子

岩澤特任教授らのグループは、すでにXAFS計測の手法で、動作状態の燃料電池Pt触媒の働きを、世界で初めて捕えることに成功している(注5)。図4はその様子をまとめたものだ。文献(注5)によると、この図は燃料電池セルのオン・オフ両過程において、Pt触媒微粒子が帯電/放電する様子とその速度、触媒表面のPt-Pt金属結合、Pt-O結合・切断の様子をリアルタイムで明らかにしたものだ。燃料電池セルが通常の動作範囲内(0.4~1.0Vの電位変化範囲)で電源オン・オフした場合、(1)オフでは白金と酸素の結合(Pt-O)が形成される速度と、Ptが正に帯電する(同図のPt粒子塊が黄色くなる)のが同じ速さで進むが、オンではPt-O結合の切断がずっと早く進み、そのあとに放電(同、粒子塊が青く変わる)が起こる。つまり、Pt触媒の構造変化とその帯・放電には時間差がある。(2)Ptは触媒として機能するが、電流が流れているという時間スケールでは、表面にPt-Oが形成された痕跡は残らない。つまり触媒表面の構造変化は可逆的で、白金が溶け出すことはない、という。

ところが、燃料電池セルの電圧を1.4Vにすると、Pt-O結合が進み、Pt-Pt結合が減る、つまりPt触媒表面の反応が不可逆になり、Ptが溶け出しやすい状態になることが判明したという。燃料電池が使われる実環境では、電池セルの電圧が局部的に通常の動作範囲を超えることが頻繁に起こり得るとされる。それが触媒劣化につながることを直接示唆した研究成果である。

この計測は、SPring-8の既存のビームラインを使ってなされたが、何しろ、既存の設備では、X線吸収スペクトルを1回測定するのに30分近くもかかる。上記の計測も、相当の工夫をして(複数回の計測結果をつなぎ合わせるなどして)、時間分解能1秒のリアルタイム計測を実現しているが、もっと早い反応を追うためにも、やはり本当にリアルタイム計測が可能な専用の設備が要る。また、触媒Pt微粒子は燃料電池MEA(膜/電極接合体)の中で空間的に不均一に分布しているため、詳細な議論を行うにはMEA内の触媒が分布している場所毎のXAFS計測が可能な空間分解XAFS設備が必要である。

長さ60メートルの専用ビームラインを建設中

そこで、岩澤特任教授らは、今回のプロジェクトを立ち上げ、専用ビームラインの建設を提案、それがNEDOの「固体高分子形燃料電池実用化推進技術開発」事業に採択された訳である。

図5.大型放射光施設SPring-8のビームライン・マップ

NEDOの燃料電池開発全体プロジェクトの中では、「触媒」だけを対象にしたサブ・プロジェクトという位置づけだが、壮大な計画である。 建設中の新ビームラインBL36XU(先端触媒構造反応リアルタイム計測ビームライン)は、SPring-8ビームラインマップ(図5)の36番目。放射光の取り出し口から実際に測定するテストベッドまで直線で長さが約60mある。放射光は鋭いビームとして発射されるが、ビーム径は1mm程度であるが、ミラーを組み合わせて約800nm以下のX線μビームを作り、そのμビームを使って燃料電池の空気極の場所毎の触媒のμ-XAFS(空間分解)を測定する。放射光ビームを調節する基幹チャンネル、光学系、高速分光器、ナノ集光ミラー系など幾つもの装置が直列につながって60mもの長さのビームラインとなる。 新ビームラインが目指している計測性能は、時間分解能800μs、空間分解能800nm(装置性能は200nm)、深さ分解能1μmである。時間分解800μsは、既存のstep-scanビームラインに比べ10万倍近くの性能、つまりはそれだけ短い時間で、触媒がどう変化するかを計測できることを意味する。もっとも、岩澤特任教授は時間分解能をフェムト(10のマイナス15乗)秒とか、アト(同マイナス18乗)秒に短くしていくことは意味がないと言う。触媒が介在して、反応が起き、新たな分子1個が生成されるまでには時間が必要で、フェムト秒のような短時間には1個の分子もできないからだ。燃料電池触媒の開発設計指針を得るためには、実際に反応が進む過程をリアルタイム計測することが大事だ。

来年から設備を本格運用、2014年に設計指針を提示

Spring-8ビームライン建設中の写真

ともあれ、新ビームラインは着々と建設が進んでいるようだ(写真)。専門的な設備なので設計から使いこなす技術まで、ノウハウの塊だという。本格運用開始は平成24年度後半からで、平成26年度の最終目標は次の三つだ。

  • (1)最先端ビームラインを駆使して触媒表面反応過程を解明する。
  • (2)触媒材料の劣化機構を明らかにする。
  • (3)高活性・高耐久性燃料電池触媒の設計指針を提示する。

このうち(3)の「触媒設計指針」に関しては、間違いなく提示できると、岩澤特任教授は自信を見せる。しかし、(1)「反応過程」と(2)「劣化機構」については、解明できるか否か、目下のところ5分5分だと言う。また、(3)でも触媒だけでなくシステム全体を見据えた総合対応力が問われる。それだけ難題だということだろう。

燃料電池は、2050年に世界のCO2排出量を半減するうえでの重要技術と位置付けられている。また、CO2を出さず、エネルギー効率も高いため、燃料電池車が未来の車として最有力視されている。国内では2015年にトヨタ、日産、ホンダの3社から燃料電池車が市場投入され、2020年~2030年に本格普及期を迎える、と予想されている。それが現実のものになるか否か、岩澤特任教授らの触媒XAFSプロジェクトが、重要なカギを握ると言ってよさそうだ。

(2011年12月)

プロフィール

岩澤特任教授は1968年東京大学理学部化学科卒、73年理学博士(東京大学)。1986年から東京大学理学部教授、2009年から電通大教授に。専門は触媒化学、表面科学で、日本の触媒研究開発を牽引する第1人者である。触媒表面研究に魅力を感じたのは1975-1976年にポスドク研究者として英サセックス大学に参画したのが発端だという。以来、触媒研究開発の分野で数々の成果を上げてきた。とくに、1980年代には、それまでブラックボックスだった固体触媒の反応を、世界で初めて原子分子レベルで解明した。その当時からXAFS計測法を使いこなし、自ら開発したモリブデンダイマー触媒(シリカ表面上にMo原子ペアが分布する)が、エタノール酸化反応中にダイナミックに変化する様子を捕えた。反応中に2個のMo原子間距離が0.4 Å、担体シリカとの距離が0.1 Å変化し、その変化の1周期ごとに1分子のエタノールがアセトアルデヒドに転換されることを確認したという
(参考:日本IBM 日本IBM化学賞 <http://www-06.ibm.com/ibm/jp/company/society/science/p04th/iwasawa.html> 2011年12月13日)。
また、2006年にはやはり独自開発したレニウム系触媒を用いて、過去40年以上世界で誰も成功しなかったO2を用いてベンゼンからフェノールを直接合成することに初めて成功した。
(参考:原子力・エネルギー教育支援情報提供サイト あとみん <http://www.sangaku.uec.ac.jp/opal-ring5/vol6/0088.htm> 2011年12月13日)。
5年前から燃料電池触媒解析に取り組む。現在は本文で紹介したプロジェクトのリーダーとして、SPring-8(兵庫県)と電通大を往き来する一方、日本化学会会長、日本学術会議第3部長(21期)として、日本の科学技術全体の発展を見据えた活動にも意欲的に取り組んでいる。

  • 注1:電通大を中核として、自然科学研究機構分子科学研究所および北海道大学との共同提案が、NEDO((独)新エネルギー・産業技術総合開発機構)が「エネルギーイノベーションプログラム」の一環として実施する「固体高分子形燃料電池実用化推進技術開発」事業に採択され(2010年4月)、この事業を推進するための拠点として設立された。
  • 注2:HP掲載電通大発表資料(平成22年8月27日)
    新しいウィンドウが開きます 燃料電池イノベーション研究センター開所式について(PDF:1.0MB)
  • 図A.放射光の発生装置
    図B.放射光の帯域
  • 注3:燃料電池は使われる電解質の種類により、大きく4種類に分類される。固体高分子形、リン酸形、溶融炭素塩形、固体酸化物形である。それぞれ運転温度や、発電出力、用途(守備範囲)が違う。携帯用や、燃料電池車などの用途には主に固体高分子形が使われる。
  • 注4:放射光は加速器を使って人工的に作り出した光である。図Aのような電子銃から発射された電子は線形加速器で加速されさらにシンクロトロンで光速に近い速度まで加速されて、蓄積リングに入る。蓄積リングのところどころに放射光の取り出し口がある。放射光はリングの接線方向にビームとして取り出される。蓄積リングは電子を蓄え、光の放射で失われるエネルギーを補って、電子を一定速度に保つ機能を持つ。このおかげで、各ビームラインではいつでも放射光を取り出せ使えることになる。 また、図Bのように、遠赤外領域からX線まで、いろいろな波長の光(電磁波)を発生できる。
  • 注5:唯美津木ほか、「In-situ時間分解XAFS法によるPt/C燃料電池触媒の起電過程の解明」
    (参考:一般社団法人 触媒学会 <http://www.shokubai.org/meeting/topics/99_1A07.pdf> 2011年12月13日)
  • 図1:燃料電池の仕組み概念図
    燃料の水素(H2)が触媒の働きで水素イオンになり、電解質を通って空気極側に移動する。放出された電子(e)は負荷を通って空気極側に。そこで酸素と水素イオンとが、やはり触媒の働きで反応し、水になる。
  • 図2:XAFS計測のイメージ
    不均質で複雑な構造の燃料電池の中の、微細な触媒ナノ粒子に、放射光(X線)をあて、X線の吸収と放出される蛍光X線を観測する。電池を動作させた状態で計測できる。触媒ナノ粒子を凝集しないように導電性の炭素担体に担持している。
  • 図3:X線吸収微細構造の説明図
    (引用:SPring-8 放射光入門 <http://prwww.spring8.or.jp/intro_sr/page4_1b.shtml> 2011年12月13日)
    測定対象原子にX線が当たると、X線が吸収され、光電子が放出される。ある特定の原子は特定のエネルギー(波長)のX線を吸収する(これを吸収端という)ため、吸収端を見れば、どの原子が反応しているかがわかる。同時に、X線によって叩き出された光電子が隣接原子で反射して、図3右のように光の干渉が起こる。つまり波の山と谷が重なると打ち消しあい、山と山が重なると強め合う。これは、同図左の吸収率スペクトルでは、吸収端右側の微細な波打ちとして現れる。
    専門家はこのスペクトルを解析して、測定対象原子の電子状態(酸化状態)や隣接原子との距離、配位数(特定の1個の中心金属原子の周りに結合している原子あるいは分子の数。たとえば鉄などの金属結晶の体心立方格子では配位数8など)などを決定する。
  • 図5:大型放射光施設SPring-8のビームライン・マップ
    BL36XUが建設中の電通大新ビームライン
  • 図A:放射光の発生装置
    (引用:原子力・エネルギー教育支援情報提供サイト あとみん <http://www.atomin.go.jp/reference/radiation/radiation_light/index02.html#introduction> 2011年12月13日)
    電子銃から発射された電子は線形加速器で加速されさらにシンクロトロンで光速に近い速度まで加速されて、蓄積リングに入る。蓄積リングのところどころに放射光の取り出し口がある。放射光はリングの接線方向にビームとして取り出される。蓄積リングは電子を蓄え、光の放射で失われるエネルギーを補って、電子を一定速度に保つ機能を持つ。このおかげで、各ビームラインではいつでも放射光を取り出せ使えることになる。
  • 図B:放射光の帯域
    (引用:SPring-8 放射光入門 <http://prwww.spring8.or.jp/intro_sr/page3_1b.shtml> 2011年12月13日)
    遠赤外からX線領域まで各種波長の光(電磁波)を発生できる。
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