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研究者情報:研究・産学連携

ユニーク&エキサイティング研究探訪
【No.20】 2012年11月 掲載
電子の粒子性と波動性が混ざった状態の謎を解き明かす

スピントロニクスで電子立国日本を再興へ

伏屋 雄紀 准教授
情報理工学研究科 先進理工学専攻

情報理工学研究科先進理工学専攻の伏屋雄紀准教授は、フランスのパリ高等物理化学学校のBehnia(ベニア)教授らと共同で、電子の粒子性と波動性が完全に混ざった特殊な状態(「量子極限(りょうしきょくげん)状態」)で生じる不思議な現象の謎を一部、解き明かしました。電子のこれまで利用されていなかった性質を活用する、次世代の超低消費電力・超高速デバイスの実現に寄与することが期待される研究成果です。

エレクトロニクスが生活シーンを激変

エレクトロニクスは過去1世紀以上にわたって進化し、人類社会を大きく発展させてきました。特に最近では、パソコンから始まった個人所有のエレクトロニクス機器が携帯電話機からスマートフォン、メディアタブレットへと発達し、人々の生活シーンを変貌させつつあります。

近年のエレクトロニクスの発展は主に、シリコン半導体チップの進化によってもたらされてきました。シリコン半導体チップは、膨大な規模の電子回路を1cm角くらいの小さなシリコンの板に内蔵しています。高密度で高速、低消費電力がシリコン半導体チップの特長であり、過去40年もの間、この三つの機能は常に改良され続けてきました。

電子立国日本の時代とその終焉

シリコン半導体チップには、計算処理を担うプロセッサ、記憶を担うメモリなどがあります。1980年代後半に日本はメモリで世界中を席巻し、当時は「電子立国日本」とも呼ばれていました。NHKテレビは1991年に「電子立国日本の自叙伝」と題するドキュメンタリー番組を6回のシリーズで放映し、エレクトロニクスと半導体が日本の基幹産業であることが日本国民全体に広く認知されました。

しかし1990年代から2000年代に世界のエレクトロニクス産業における日本の地位は低下していきます。シリコン半導体チップを製造する日本企業は減少し、シリコン半導体の本家である米国はもちろんのこと、後発組である韓国や台湾などの半導体企業にも日本は遅れをとっているのが2012年の現在です。

「電子」立国日本を再興する三本の矢

「「電子」立国日本をもう一度」。伏屋雄紀准教授が構想する未来の日本の姿です。電子ではなく「電子」なのは、電子のこれまでに利用されてこなかった性質を活用するからです。

電子は主に三つの性質を輸送する能力を備えています。一つは「電荷」です。これまでのエレクトロニクスは、電子を使って電荷を輸送することで信号を伝送してきました。シリコン半導体チップも同様で、電荷の流れである「電流」を利用しています。言い換えると、現在のエレクトロニクスでは、残りの二つの性質は基本的に利用していません。

「電子」立国をもう一度

残りの二つの性質とは「熱」と「スピン」です。電子が「熱」を輸送できることは、熱と電流の変換作用である熱電効果が証明しています。そして電子は「スピン」も輸送できます。スピンは電子が磁場と相互作用するときに重要な働きをします。そこで最近では「スピントロニクス」と呼ぶ、エレクトロニクスとは違った物理体系に基づくデバイスの研究開発が活発になっています。

伏屋准教授は、電荷を輸送する「電流」と熱を輸送する「熱流」、スピンを輸送する「スピン流」を三本の矢にみたて、これらを束ねることで強くてしなやかな「電子」立国を日本に蘇えらせたいと考えています。

電流、熱流、スピン流で社会に貢献

伏屋准教授の研究テーマ
エレクトロニクス(超伝導)、サーモエレクトリクス(熱電効果)、スピントロニクス(スピン流)が社会に貢献するシナリオ

電流(エレクトロニクス)と熱流(サーモエレクトリクス)、スピン流(スピントロニクス)を利用することで、新しい形で社会に貢献する可能性が拓けます。電流では、超伝導状態によって電気抵抗がゼロ、言い換えると抵抗損失がゼロの状態で電力を送れるようになります。熱流では、熱電変換素子によって、これまで熱として捨てられてきたエネルギーを電力として利用できるようになります。「エネルギー・ハーベスティング」と呼ばれる、これまで捨てられてきたエネルギーを電力に利用する試みの一つとして、すでに国内外の企業や大学などが活発に研究を進めています。そしてスピン流を使うことで超高速・低損失の次世代デバイスを実現できる可能性があります。

これらを整理すると、工場やビルディングなどの排熱を電力に変換し、超伝導送電で電力伝送のロスをゼロに減らし、スピン流による次世代デバイスで超高速の処理を実現する。究極の省エネルギーを達成できるようになります。このようにして日本を再び「電子」立国に返り咲かせる、という雄大な構想です。

電子の粒子性と波動性

電子が備える三つの性質を利用した応用分野のなかでも、エレクトロニクスはすでに商用化されており、サーモエレクトリクスは商用化が始まっています。残るはスピントロニクスです。伏屋准教授はスピントロニクスの理論研究に主に携わってきました。

電子は粒子であり、波でもある

スピントロニクスの基本となるのが、量子力学です。簡単に言ってしまうと、電子には粒子としての性質(粒子性)と波としての性質(波動性)の両方が存在しているということです。古典力学では、電子を粒子として扱います。先ほど説明したシリコン半導体チップの動作の大部分は、古典力学でも理解できます。ところが「スピン」は完全に量子力学的な性質で、スピントロニクスの世界は量子力学を駆使しないと理解することができません。つまり、電子の粒子性に加えて波動性がしばしば登場してきます。

例えば電子に磁場を加えると、電子は円運動を始めます。磁場を強くすると、円運動の半径が小さくなります。磁場をさらに強くすると、円運動の半径が極端に小さくなり、電子の波長とあまり変わらなくなります。この状態ですと電子の波としての性質があらわになり、粒子性と波動性が混じり合った状態となります。この状態を「量子極限(りょうしきょくげん)」と呼びます。

電子に磁場を加えた状態
磁場を強くすると粒子と波が混じり合う

量子極限を実現しやすい材料

「量子極限」を通常の材料で実現することは、簡単ではありません。ものすごく強力な磁石が必要だからです。磁場の単位には「T(テスラ)」を使います。市販の棒磁石の磁場はせいぜい、約0.1Tほどです。金属を量子極限状態に変えるには、数百Tの磁場が必要です。このためには非常に高価でおおがかりな電磁石を必要とします。こういった特殊な電磁石を導入できるのは、世界的にみてもごくわずかな研究機関だけです。

ビスマスの結晶

ところが最近になって、1T程度の磁場でも量子極限状態になる材料が見つかりました。その代表がビスマスです。

ビスマスは原子番号が83の元素で、室温では固体です。通常は金属ですが、絶縁体も人工的に作れます。ビスマスは鉛を使わないはんだ合金(鉛フリーはんだ合金)で融点を下げるために使われています。高温超伝導材料の構成元素でもあります(ビスマス系高温超伝導体)。

反磁性体の「ビスマス」で巨大磁気抵抗効果に類似した現象を確認

ビスマスは安価で入手しやすい材料です。伏屋准教授は、ビスマスを対象にスピントロニクスの理論研究を続けてきました。その中で最新の研究成果が、フランスのBehnia(ベニア)教授らとの共同研究によるものです。ビスマスの量子極限状態では、「巨大磁気抵抗効果(GMR)」に類似した現象が発生していることを見い出しました。ここでGMRとは、磁場を加えることによって電気抵抗が著しく増大する現象を指します。GMRはコンピュータの外部記憶装置であるハード・ディスク装置の磁気ヘッドに使われた物理効果ですが、通常は強磁性体を含む多層膜で現れるものと考えられてきました。

ビスマスの双晶で巨大磁気抵抗効果が起こる
伏屋准教授がビスマスで発見してきた現象

これに対してビスマスは反磁性体であり、普通はGMRが発生するとは考えにくいのです。ところが、ビスマスの双晶(鏡に映したように対称な2種類以上の結晶がひとかたまりで存在する状態)に磁場を加えると、双晶の境界面に電子のバリア(障壁)が生じ、電気抵抗が生じます。言い換えると、電子が境界面を通過できなくなります。この現象「双晶境界バリア現象」を利用すると、既存のシリコン半導体チップとはまったく違ったデバイスを実現可能だと期待されます。

伏屋准教授はこれまでにも、ビスマスの電子スピンに関するいくつかの発見をしてきました。例えば、エネルギー損失がまったくないスピン伝導現象「ゼロ散逸スピン伝導現象」の発見では、超伝導のように損失ゼロで信号を伝送する可能性を見い出しています。

これまで説明してきたようにビスマスには、スピントロニクスに関連する興味深い性質がいくつも存在します。解明すべき謎はまだ山積していますが、ビスマスを使った次世代デバイスの実現に今後、少しずつ近付いていくことは間違いないでしょう。

(取材・文:広報センター 福田 昭)